年代測定のテストフィールド




 高森遺跡だけでなく、馬場壇、座散乱木遺跡など、日本にも旧石器時代があったことを証明するとされていた東北地方の遺跡が、すべて捏造という結論になってしまった。その遺跡の古さを科学的に支えた年代測定の結果も信用できないものであったのだろうか。結論からいえば、仙台北部の地層の年代そのものの信用性は少しも揺るがないのである。石器そのものの年代ははかれないので、年代が測定されたのは地層のそこここに挟まる火山噴出物である。これらの火山噴出物が地層のどの深さに挟まれているかは、付近一帯の丁寧な地質調査によってきめられる。高森遺跡付近の宮城県西北部の丁寧な地質調査は早田勉氏によって行われた。その結果、鬼首火山などを給源とする火山噴出物が何枚も挟まれていることが明らかになった。上の図は早田勉氏の地質柱状図に年代の情報を書き込んだものである。
 火山の噴火によって噴出されるもののうち、溶岩と**を除くものをテフラという。火山性降下物というような呼び方もあるが、テフラと言った方が通りがよい。代表は火山灰である。テフラは火口付近岳でなく、広い範囲に降下する。特に広範囲に降下したテフラを広域テフラと呼ぶ。阿曽火山から噴出したテフラは広く東日本に分布しているだけでなく沖合いの大平洋の海底にも堆積している。地層の中にテフラが見つかればそのテフラの作る面は同一時間面である。このテフラの年代が分かっていれば、地層の中に年代の目盛りを入れることができる。Aso-4などの広域テフラはよい時間面として利用されている。このような年代研究の手法をテフロクロノロジー(テフラ年代学)と呼ぶ。しかし、高森遺跡の年代を論じようとすると、年代の分かっているテフラはない。
 30万年から60万年くらい前の年代をきめようとすると、測定法は、K-Ar法、フィッション・トラック法、熱ルミネッセンス法、電子スピン共鳴法などになる。また、火山噴出物は堆積する時に当時の磁場の方向に帯磁するので、古地磁気年代法も利用できる。上の図には、熱ルミネッセンス法、電子スピン共鳴法、古地磁気年代法の結果を書き込んだ。この結果が出たのちK-Ar法の一つの手法であるAr40-Ar39法でも80万年程度の年代が得られている。
 このあたりの年代の試料をいろいろな手法で測定し、比較するという機会はめったにない。大変貴重な経験であった。年代の値そのものは必ずしもよく定まったとは言えない。研究会を開いて、研究者の間で報告しあうと、試料採取の問題点や、データ処理での問題点、解釈の問題点などいろいろ浮かび上がってくる。グラフ上のデータポイントを直線で結ぶのか曲線で結ぶのかによって年代の値が2倍くらい違ってしまう場合もあった。これらの年代研究を総合的に見てまとめた年代が、「50万年」という年代である。

 東北大学地質学教室のN教授から、「高森遺跡の年代測定に協力してほしい」といわれて、学生を連れて発掘現場を見に行った。多賀城にある東北歴史資料館がトレンチを掘って大規模な発掘を行った直後で、「これだけ掘っても、この場所では石器は2つくらいしか出ませんでした。」という。トレンチのそこに、土が塔のように高まっているところがあって、そこが石器の出たところだという。石器自体は、素人の私の目には自然石と区別がつかなかった。(あれだけ深ければF氏も偽石器を埋めることはできなかったろうから、やはり自然石だったのだろう。)今思い出すと、「あの人たちが掘ると出るのに、私達がやってもでないのだから」といっていたのが妙に印象的である。
 遺跡付近の地層に含まれる火山灰は風化が激しく、K-Ar法では測定できないので、もっと上位の鵙目火砕流を採取し、その中から角閃石の粒だけを集めて年代測定した。このような試料の場合、火山の噴火の時マグマからもたらされた角閃石なのか、それとも以前からあった岩の中の角閃石が噴火で吹き飛ばされたのかで、年代がその地層のできた時の年代として扱えるかどうかが決まる。私達が集めた角閃石野中には、古くからあった岩からもたらされた角閃石がかなり含まれていたらしい。大変苦労した結果出てきた年代はなんと100万年をこえていた。「どうなりましたか」と聞かれたので結果は報告したが、うまく行かなかった例である。


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